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JTCCで走っていた姿があまりにも格好良く見えたので購入したわけですが、最近の新型車をレンタカーで乗ったりしていると、経年劣化は否めません。
「さあ、シビックフェリオよ。最後の旅に出かけよう。」
バイクで良く行く青山高原へ。
青山高原道路に進入。走馬灯のように思い出が浮かんでくる。
納車の日は、床屋に行ってお前を迎えたなぁ。
翌日、鈴鹿を通ったときに車両運搬車に乗った新型シビックを見たときは虚しい気分にさせられたなぁ。
昔は、雪道の練習を雪が積もる度に此処に来て走りまくったなぁ。
もう少しで壁にキスしそうになったなぁ。
ここで立派な角を生やした雄鹿も見たなぁ。
自分に嫌な事があって何度も気分転換に来たなぁ。
もう、お前に乗って此処に来ることは出来ないのだ。
語りかけるようにシビックフェリオを走らせる。
シビックフェリオ、最後の帰宅。
そのまま別れるのが嫌なので、家の車(原付も含む)を送り出すときは毎回、薩摩の芋焼酎をかけてやってから送り出す。相手は魂の籠っていない機械なのに、感謝の気持ちを込めて…。
車屋に到着。フェリオを買った車屋とは別の車屋。フェリオを買った車屋の大将は数年前にお亡くなりになられた。フェリオ納車はその方の運転で、納車されたのでその車屋で廃車と新車購入をしたかったが、もう廃業しているので仕方がない。そこと付き合いのあった車屋で買うことにした。
新車「ホンダ インサイト」が待っていた。でも、14年前のような嬉しさが全く無い。何故だろうか。
店の方が気を使ってくれて、一緒に写真を撮れるように配慮してくれた。
説明を受けて、「シビックフェリオ」を置き去りにして、「インサイト」で帰る。
コーナーリングはどうかなぁと思って走ってみたら、足回りパーツやタワーバー等を付けていた「シビックフェリオ」の方が良い。
「インサイト」何となく乗りにくいなぁ。「シビックフェリオ」と同等に使い易いと思える日は来るのだろうか。
3月3日
勤務終了後、鉄道ファンの友人(仮名:鐵壱さん)と旅行に行きました。
予定ルートは、沢山ありました…。
今回は、新大阪~出雲市~門司港~神戸港のルートに決定しました。
奈良県のとある駅で待ち合わせをし、大阪難波駅で地下鉄に乗り換え、新大阪駅に出ました。
山陽新幹線「ひかりレールスター 博多ゆき」に乗車。
←2007年の同じ時間の写真です。
車内で”たこむす”を食べる。”天むす”とは違い、食べにくかった。
何となく、自分は関西系の食べ物よりも、東の方の食べ物が合うかな。
新幹線でビールを飲んだが、ちっとも酔わない。
田舎の列車で飲みたいなぁ。
岡山駅で「L特急やくも 出雲市ゆき」に乗車する。
でも、昔の国鉄特急色がいいなぁ。
急なカーブで車体が倒れる感覚はバイクと同じだ。
何となく381系特急型が気に入った。
私鉄とは違い、継ぎ目の多い旧国鉄の線路も気に入った。
定期的に聞こえる継ぎ目を越える音…。何となくリズムを取っているような感じがする。
その音を聞くとだんだん眠りに誘われていくような気がする。
いつの間にか寝てしまい、気がつくと山間部を抜けていた。
車内アナウンスで大山の紹介があり、写真を撮ってみた。
何時かは、バイクでこの地方も訪ねてみたいなぁ。
宍道湖を右手に見たりしながら車窓を楽しんでいたが、今日の宿泊地”出雲市”に到着。
観光案内所で出雲大社へのアクセスを尋ねて、駅前のビジネスホテルにチェックインして荷物を軽くしてから、駅前よりバスに乗る。
大社駅前でバスを降りて、旧(国鉄・JR)大社駅を見物しようと思ったが補修工事中でした。
SL(D51)を見て去るだけ…。正直、面白くなかった。
一畑電鉄大社駅の前を通って、出雲大社へ歩きました。
大きな鳥居もありましたが、奈良の三輪明神の神社付近の鳥居よりも小さかったが、神様の威圧感を感じる。
出雲大社の前に到着。
夕方だから人が少ない。でも観光客は少しいた。
しめ縄に10円硬貨が刺さるか、渾身の力を込めて投げた。
見事に刺さったが、友人はなかなか刺さらない。
参拝したあと、お守りを分けていただいた。
日もほとんど沈み、一畑電鉄大社駅に向かい歩くと古い建物が思ったより沢山ある。
老舗の旅館らしきものが一番気になったが、今日の宿は駅前のビジネスホテル。
いつかバイクでゆっくり来てみよう。
一畑電鉄大社駅に到着。なかなか味のある駅舎だ。
プラットホームに出ると「あれ、いつか見た気がする。」
初めて来た場所なのになぜだろう。
「ああ、嵐電の嵐山駅に雰囲気が似ている気がするだけか.。」
なんか懐かしいデザインの電車が入線してきた。
昔の南海特急につかわれていた車両だった。
走行中の軋みも良かった。
乗り換えて電鉄出雲市駅に到着。
宿に戻って、飲食店を確認してから晩飯を食べに出た。
昔、友人達と集まってゲームした「桃太郎電鉄シリーズ」の知識しか無かったもので、出雲と言ったら「蕎麦」しか出てこなかった。
しかし、食べたものはカツ丼だった。なんか勿体無いことした気分になってきた。
近くのコンビニで酒とツマミを買って、翌日の津和野や門司をネットで調べてから就寝。
何となく飽きていたので、XR400mに乗って出掛けました。
今日はPC用品を見に行こうと思い出掛けたわけですが、寒かった。
よく行く青山高原も白くなっていて、本当に山を越えられるのか心配になった。
しかし、新しいトンネルのおかげで無事に通り抜ける事が出来た。
津の街に進入。PC用品店に着いたが欲しい物は無し。
同じ道を帰るのはつまらないので、JR名松線沿いの廃止になりそうな場所を通る。
線路の復旧作業が始まったのかと思ったが、地元の人が倒木を除去していただけのようだ。
JR○海は、此処を二度と鉄道を走らせる意志はないのでしょう。
各踏切の遮断棒は撤去してあった。
空しい気分を味わいながら、伊勢奥津駅に到着。
駅舎に入り、書き込めるノートがあったので一言書き込んだ。
早く復旧して欲しいなぁ。欲を言えば桜のシーズンまでに…。昨年は、一両仕立ての満員列車を右腕骨折状態で乗りました。揺れる度に右上腕部に人や荷物が当たり激痛が走りましたが我慢しました。でも変な汗は出てくる…。あの時は、此処のJRは何を考えているのか…。紀勢本線や参宮線に空車を走らせているのならば…。こっちにも回せよと思いました。
今でもその考えは変わりませんねぇ。自動車やバイクが乗れなくなれば、頼れる交通手段は鉄道やバスになりますから。
心からこの路線の復活を希望して止まないです。
自分の住むところから伊勢に抜ける道の峠の辺りが白くなっていたので断念しました。
根性無しと思われるかもしれませんが、昨年3月にバイクで転倒し骨折して会社・職場に多大な迷惑を掛けたので、大事を取って諦めました。
伊勢に行ったら土産は、へんば餅。昼飯は、からあげ丼と伊勢うどん。
春が来るまでその楽しみは残しておこう…。
走れる範囲で走ろうか。
今日、SL230は走行距離73000kmを越えました。
二度のエンジン修理もあったわけですが、ここまでして走らせる馬鹿も自分ぐらいかもしれません。
スピードは出せませんが、扱いやすさは素晴らしい。
思い出のたくさん詰まったバイクですが、このバイクも今年3月で6年を迎えます。
維持していくのが辛くなりそうなので、そろそろ…。
そのため、車載工具が載りません。
XR400mで次期四輪車のお金を払いに行った後、車載工具を載せるために、ホームセンターを回り適当な物がないか探しに行きましたが、見つかりませんでした。
寒いが、そのまま帰るのも癪なので走り回る。
いつもは、南方からの帰路に寄る滝にも寄ってみたが、何か淋しい。
しかも雪が残っている。
女人高野と言われる「室生寺」前も走り抜け、目的地の別のホームセンターを通過。
又兵衛桜に行ってから、近くの道の駅に寄る。
あまりにも寒かったので、紙コップのホットコーヒーを買ったが…、何じゃこりゃー ”せんとくん”の絵が入っているではないか。
”せんとくん”って彼方此方で言う「ゆるキャラ」なのでしょうか?
自分からしたら「○○キャラ」と思うのですが…。
東に向かい帰ろうと思ったのですが、菟田野付近で遠くに見える高見山が雪で少し白くなっていました。
知っている街とは違う、別の街に来たような気分でした。
では高見山を見に行こうと思い、そのまま東方に向かう。目安は道端の水たまり。凍っていればその場で引き返す事を考えて走りました。
高見山麓で凍っている水たまりを見つけたので引き返す。
途中で高見山が見える場所でXR400mと一緒に撮る。
何となく、ただ何となく撮った写真です。
一度通過したホームセンターに寄ってから、室生村の磨崖仏を見て帰りました。
帰ってから風呂にはいると骨に染みるような暖かさ。
この瞬間が、自分にとっての冬期バイク旅の満足感が味わえる瞬間です。
今日も無事に帰って来ることがで出来たなぁ~と充実した瞬間でもあります。
今年の春~秋は、どんなバイク旅をしようか…。
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しかし、特亜には絶対に行きたくないですね。