鉄道・バイクで旅をしたことが主な記事です。
いつかは、亜細亜(M党の政治屋が、大好きな特亜3国を除く)を回りたいです。
航空機だけは、なるべく使いたくありません。
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朝3時半起床、準備をして4時45分に出発。
走りながら空が白くなっていく様子を見る。
「ああ、今日はいい天気になりそうだ。」って思ったが、旅先の天気も気になった。
名神道・八日市ICから多賀SAに寄って、米原JCTから北陸道を走る。賤ケ岳SAに寄ったらモーニングバイキングが気になった。しかし、港でも何か食べ物あるだろうと思って出発。後で恐ろしい思いをすることも知らず…。
気がつけば、時速ぬあわkm出ていたときだった。前方を走行しているトラックを抜こうと、トラックの背後に近づき空気抵抗を減らして加速中に、それはやってきた。
スロットルを回して加速していたが、急にエンジンブレーキがかかったような感覚。
急いで路側帯に停車。燃料コックを切り替えて、セルを回すがなかなかガソリンが回らない。
その横をビュンビュン通過していくトラックや自家用車。あれほど怖いものはないと思いました。
やっと走れるようになったので、80kmで巡行。敦賀ICで降りて市街地に入り、すぐにガソリンを給油。
1リットル=20.1kmって、燃費悪くなりすぎだ…。計算すると急ぐだけで35kmも走行可能距離を縮めてしまった。
敦賀港に到着。ここから新潟港まで、12時間30分の船旅。
燃えた重油の臭いがたまらなく、旅をする自分の心が騒ぐ。 数週間前に通った越前海岸を見たい。東尋坊も海から見たい。海から能登半島を見たい。
出港まではまだまだ時間がある。
乗船手続きを済ませても時間はたっぷりある。パンフレットや掲示物、それと営業時間前のレストランのメニューを見る。
レストランのメニューを見ていたら、急に腹が減ってきた。
軽食コーナーのメニューを見ていても、何となくイマイチだなぁ。コーラを飲んで腹を満たす。
乗船開始時間が近づき、乗船準備をする。
メッシュジャケットでも夏の直射日光は辛い。しかもヘルメットを被るからなおさらだ…。
乗ったフェリーの名前は”ふぇりーあざれあ”。
乗船開始。バイクは自分が先頭だった。
滑って転倒したら、恥ずかしいな。と思いながら緊張してゆっくりと誘導員の指示に従って乗船。バイクから荷物を降ろしたら甲板作業員が慣れた手つきでバイクを縛る。
作業風景を見ていると何となく安心感が出てくる。ここから北海道に行くライダーのバイク達もこの作業員の方々にこうやって固定されて船で行ったんだな。 それより驚いたのが、フェリー慣れした他のバイク乗り。
当たり前のように、ヘルメット置き場(ネット張り)にメットを縛って客室に向かう行動。
九州行きのフェリー(関西汽船・ダイヤモンドフェリー・宮崎カーフェリー)には、ヘルメット置き場は無かったぞ。
重い荷物を抱え、階段を上りフロントに向かう。
迷ったバイク乗りの方がいたので、「矢印の方向に向かうといいですよ。」とアドバイスだけした。早い!もう行ってしまった。
若いっていいなぁ…。とオジン染みたことを思った。
2等寝台の指定した場所が乗船券に書き込まれ、場所の説明をしてもらって自分のベットに行った。
寝台取ったのは、昼寝がしたかっただけ。
下船まで12時間あるので、缶ビールを買って外部甲板へ。
出航前だったが、何となくビールが旨い。 ヘリコプターが離着陸できる最上階外部甲板って広いなぁ。田舎の盆踊りなら十分な広さだ。海風で櫓を建てることはできないが、太鼓鳴らしても大海原だから近所に迷惑はかからないし…。盆踊りあったら楽しそうだなぁ~と勝手に想像する。 ビールを飲み終えたので、またビールを買いに自販機に行ったら出港時間になった。あわてて外部甲板へ行く。
舫いを外すのを見たかっただけですが…。
これが外れると何となく俗世間から別れられる気分を味わうことができるのです。
ああ、ビールうめぇ~。
港湾作業員や新日本海フェリーの方々も手を振って見送っている。
いいなぁ。こんなの。旅の気分をかき立てられるだけではなく、また利用したいなと思った。 自分のよく知るK県S港は、それがありませんからね。
手を振って見送っているのは、乗船した人の家族だけ。
作業員は、舫いを外したらさっさと車で帰ってしまうし…。時間も夕方ですから、仕方がないかもしれませんが。
だからあの港は”さんふらわあ”が去ろうとしたときに大騒ぎをしたんだ。
K県S港の最寄りのスーパーで見た小学生の船の絵は太陽の絵が船に描かれていた。
あって当たり前の存在が、無くなろうとしたから大騒ぎをしたんだろうなぁ。
K県S港の次の候補地、M県M港のほうが高速道路が近くて便利だ。
M県M港に接岸するMカーフェリーは確かに便利だ。
自分は、K県S港に思い出と懐かしい味覚があって、乗り続けているのです。
出港すると左に原発半島、右に越前海岸。 ボケーと右舷側(越前海岸)の海岸を缶ビール片手に眺める。
河野しおかぜライン~干飯崎~越前岬~東尋坊が見える。
海の上は渋滞がないので、さすがに速い。 遅い時間に行ったから、良さそうな食い物がない。
ある程度、おかずと味噌汁と飯を取ってから、カレーも山盛りに取ってそれを食べる。
腹一杯になったので、ベッドに戻り昼寝をする。
---ZZZ---ZZZ---ZZZ---
目が覚めたのが、15時前でした。
下船時間まで8時間を切っている。もう酒は飲めないや。
2等寝台のベッドにいても狭いだけだし、風呂に入ってから外部甲板で陸でものんびり眺めるか…。
風呂は「さんふらわあ きりしま&さつま」に比べても同じぐらいの大きさに思えた。
下船時間まで8時間を切っている。もう酒は飲めないや。
2等寝台のベッドにいても狭いだけだし、風呂に入ってから外部甲板で陸でものんびり眺めるか…。
風呂は「さんふらわあ きりしま&さつま」に比べても同じぐらいの大きさに思えた。
後は行き交う船を見たり、夕日を眺めたりしてました。日没前ぐらいから後部甲板ではジンギスカンの焼肉をやっていた。食べたかったが、食べるとビールを飲みたくなるので止めた。
外部甲板を散策していると、前部外部甲板にたどり着くことができたので、入港時の写真を撮った。 (シャッター速度16秒で撮ったのに、2人の作業員は全く動いていない。人を運ぶ仕事に誇りを持って、作業に当たっているのか。素晴らしい!!)
外部甲板を散策していると、前部外部甲板にたどり着くことができたので、入港時の写真を撮った。 (シャッター速度16秒で撮ったのに、2人の作業員は全く動いていない。人を運ぶ仕事に誇りを持って、作業に当たっているのか。素晴らしい!!)
新潟港下船時間は、定刻より50分早い21:40だった。
こんなこと分かれば、今日の宿は会津若松だったのになぁ。
(そんなこと言っても、予言者じゃないから、分かるはずがない!そもそも、戊申の恨みがある薩摩人を泊めてくれる宿があるのか?)
新潟亀田ICから日東道に入り、いつの間にか北陸道に入っていた。ヘルメットのバイザーが無視でずいぶん汚れていたので、栄PAに寄って休憩&ヘルメットの汚れ取り。それが終わるとすぐに出発。
中之島見附ICで降り、国道と県道を走って長岡駅前のビジネスホテルに23:10に到着。
長岡という街は、夜でも賑やかな街というような感じを受けました。
飲み屋さん多いし、まっすぐ歩けない酔っ払いも多かった。
上越新幹線の影響なのでしょうか?
飲み屋さん多いし、まっすぐ歩けない酔っ払いも多かった。
上越新幹線の影響なのでしょうか?
この日の晩飯
寂しいなぁ。
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朝は出掛けるバイクで少し考えましたが、3週間ぶりにXR400mを選びました。
エンジン掛かるのか?と思いましたが、あっさりと掛かりました。
さて舞鶴にどんなルートで行こうか考えながら走っていたら、京都市街地で時間を食った。
京都縦貫自動車道を使ったりしながら、12時に舞鶴に到着。
西舞鶴駅の観光案内所で、パンフレットをもらう。
大きな道の駅には海鮮ばかりで「肉じゃが」が無かった。
↓鹿児島の材料にこだわった、2年前に祖母のために作った肉じゃが
肉じゃが発祥の地と云われる舞鶴でどうしても肉じゃがを食べたかった。
もともとビーフシチューを日本人に合うようアレンジして、醤油で味付けした食べ物らしいです。
自分が行こうとした店は改装中で休みでした。
その付近の店は、居酒屋さんでまだ営業していませんでした。
次は泊まりがけで来よう。肉じゃがを絶対に食べるぞ!!
赤レンガ倉庫や港の様子を見てから、舞鶴の引き揚げ記念館付近を見てまわる。
無事に帰ってきた人は本当に嬉しかっただろうなぁ。しかし、心や体に傷を負って帰ってきた人々の心中や不幸にも異国の土になってしまった方々を考えたりしていると平和な世の中っていいなぁ。
でも何もせずに平和な日本になったわけではない。
自分達の先達が平和な時代を作ろうとして、身体を張って戦って作った平和なんです。教科書の歴史って、カスですね。自分の習った歴史もカスでした。大東亜戦争(一般的には、太平洋戦争ですが…)もしっかりと調べたくなりました。
敦賀でソースカツ丼を食べてから、敦賀ICから高速道路に乗ったが横風が強くて次の木之本ICで降りる。サラダパンも気になったが、鹿児島の先達が美濃国に遺した足跡を辿ってみよう。
関ヶ原の島津軍陣地跡に到着。
前進退却した島津義弘の部隊。
甥の豊久や家老の長寿院盛敦の捨てガマリ戦法が目に浮かぶ。
鉄砲撃ったら刀や槍で、死ぬことは分かっているのに徳川勢に挑んだのだろうな。
この時は、薩摩・大隅・日向(一部)から見ると異郷だったのだろうな。
その当時は何週間かかったのだろうか?
今なら、新幹線等の鉄道を使えば約6時間で来ることが出来る。
今の人間って、旅の部分だけで考えても長生きしてるよなぁ。
次は、宝暦治水に関係がある治水神社。
毎年いつでも、バイクで東方に向かうときは必ず来ます。
堤防で川の流れを整えた鹿児島の先達に感謝し、交通の流れを妨げる(事故や故障)事の無いように参拝します。
ここの宮司さんが薩摩義士の遺骸(今は別の場所に埋葬されています)が入っていた甕が保存してある場所を教えてもらったが、小学校に保存してあるとは…。見たいけど、野良薩摩人が行っても不審者扱いされるかも…。
長島ICより東名阪自動車道を走る。
バイザーに虫が付いて敵わないので、トラックや観光バスを虫除けに利用しながら走る。
亀山PAでバイク駐車場所に行くと、バイクがいた。
そのバイク乗りと地図を見ながら談笑をする。
バイクの購入の経緯や旅の目的地や感想を聞いたりした。
初めての高速道路らしい。これから走る道も初めてのようだったので、名阪国道の危ない場所を伝えて別れた。
伊勢自動車道を走って、自宅に帰宅。
約540kmを走っていたのか…。
エンジン掛かるのか?と思いましたが、あっさりと掛かりました。
さて舞鶴にどんなルートで行こうか考えながら走っていたら、京都市街地で時間を食った。
京都縦貫自動車道を使ったりしながら、12時に舞鶴に到着。
西舞鶴駅の観光案内所で、パンフレットをもらう。
大きな道の駅には海鮮ばかりで「肉じゃが」が無かった。
↓鹿児島の材料にこだわった、2年前に祖母のために作った肉じゃが
肉じゃが発祥の地と云われる舞鶴でどうしても肉じゃがを食べたかった。
もともとビーフシチューを日本人に合うようアレンジして、醤油で味付けした食べ物らしいです。
自分が行こうとした店は改装中で休みでした。
その付近の店は、居酒屋さんでまだ営業していませんでした。
次は泊まりがけで来よう。肉じゃがを絶対に食べるぞ!!
赤レンガ倉庫や港の様子を見てから、舞鶴の引き揚げ記念館付近を見てまわる。
無事に帰ってきた人は本当に嬉しかっただろうなぁ。しかし、心や体に傷を負って帰ってきた人々の心中や不幸にも異国の土になってしまった方々を考えたりしていると平和な世の中っていいなぁ。
でも何もせずに平和な日本になったわけではない。
自分達の先達が平和な時代を作ろうとして、身体を張って戦って作った平和なんです。教科書の歴史って、カスですね。自分の習った歴史もカスでした。大東亜戦争(一般的には、太平洋戦争ですが…)もしっかりと調べたくなりました。
敦賀でソースカツ丼を食べてから、敦賀ICから高速道路に乗ったが横風が強くて次の木之本ICで降りる。サラダパンも気になったが、鹿児島の先達が美濃国に遺した足跡を辿ってみよう。
関ヶ原の島津軍陣地跡に到着。
前進退却した島津義弘の部隊。
甥の豊久や家老の長寿院盛敦の捨てガマリ戦法が目に浮かぶ。
鉄砲撃ったら刀や槍で、死ぬことは分かっているのに徳川勢に挑んだのだろうな。
この時は、薩摩・大隅・日向(一部)から見ると異郷だったのだろうな。
その当時は何週間かかったのだろうか?
今なら、新幹線等の鉄道を使えば約6時間で来ることが出来る。
今の人間って、旅の部分だけで考えても長生きしてるよなぁ。
次は、宝暦治水に関係がある治水神社。
毎年いつでも、バイクで東方に向かうときは必ず来ます。
堤防で川の流れを整えた鹿児島の先達に感謝し、交通の流れを妨げる(事故や故障)事の無いように参拝します。
ここの宮司さんが薩摩義士の遺骸(今は別の場所に埋葬されています)が入っていた甕が保存してある場所を教えてもらったが、小学校に保存してあるとは…。見たいけど、野良薩摩人が行っても不審者扱いされるかも…。
長島ICより東名阪自動車道を走る。
バイザーに虫が付いて敵わないので、トラックや観光バスを虫除けに利用しながら走る。
亀山PAでバイク駐車場所に行くと、バイクがいた。
そのバイク乗りと地図を見ながら談笑をする。
バイクの購入の経緯や旅の目的地や感想を聞いたりした。
初めての高速道路らしい。これから走る道も初めてのようだったので、名阪国道の危ない場所を伝えて別れた。
伊勢自動車道を走って、自宅に帰宅。
約540kmを走っていたのか…。
SL230は、もうすぐ他所に行ってしまいます。
その前に何回も行った南紀州を走ってみようと思いました。
熊野で解体されているフェリー「ありあけ」を見ました。
頑張れフェリー会社。あの素晴らしい星空を再び見せて欲しい。
次は、そのまま通過しようと思った太地町。 シーシェパードって、鯨を教祖とした新興宗教なのですか?
日本人の生命よりも鯨の生命が上なんですかね?
鯨が増えると魚が減る。それも分からないのでしょうか?
それとも鯨漁をされると肉牛が売れないと思った、某国の手先なのでしょうか?
鯨を捕るなと言う人よ。太地町の梶取崎に行ってから言ってくれ。
俺は、鯨を食う。そして、その鯨に感謝する。それで良いんじゃないか。
「いただきます」「ごちそうさま」は、自分の食料になるために育てた人や死んだ動物に感謝するためのものではなかったのか?
チェーン店で飯を食べていても「いただきます」「ごちそうさま」が出来ない人ばかり…。
お金払ったら自分のものと思っているあなた方は獣ですか?
それと、クジラ漁するなという白人共も昔はクジラ漁していたではないか。食べるわけではなく、明かりを灯す油のために。
そんな白人御都合主義にノセられてクジラ漁を反対する日本人は知ってモノをいっているのか?学の無い自分がいうのもなんですが、白人ばかりの世界史なんて糞食らえだ!
次は、串本町。
町のあちこちに日本国旗とトルコ国旗が飾ってある。
恩には恩で返したトルコ国は素晴らしいと思います。
日本人初の国際貢献が行われた、紀伊大島が今回の旅の目的地。
アンリ・デュナンやナイチンゲールを知ることも良いのですが、トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難でその乗組員を救った紀伊大島の多数の人々のことも知って欲しいです。
嵐の時に備蓄の食糧や飼っていた鶏を潰して、介抱したのです。そのおかげで、約100年後のイラン・イラク戦争の時にテヘランに取り残された日本人を救出したのは日本の航空機ではなく、撃墜される危険を冒しながらトルコ航空機によって助け出されたのですよ。その時のトルコの外交官が言った言葉は、「昔の恩返し」。イスラム教では食べない豚肉を食べる日本人をですよ。
日本人では、調べなければ分からないレベルの事です。
でも日本が開国して、初めて国際貢献した「紀伊大島」島民の方々の行動が、日本の将来を支えていた事に感謝します。
新潟県柏崎市から、トルコ建国の父「ケマル・アタテュルク」の像が移転していたのです。
何か、嬉しくてテンション上がってしまいました。
でも、この像が指すのはどこなのでしょうか。遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号の方角なのでしょうか。どうせなら、トルコ国に向ければいいのにと思ったのだが、これって日本人的な感覚なのでしょうか。お墓に指を指してはいけないので、慰霊碑に指を指さないようにしたのかなぁ。
いつかここに来て、潮騒を聞きながらキャンプをしたいなぁ。
次は潮岬。本州最南端の場所。
多くの船が行き交っていた。大和級戦艦母体のの航空母艦「信濃」が沈んだのもこの沖だったと思う。
遠くの空の雲を見ると不謹慎ですが、昔のファミコンのゲームを思い出した。「スカイデストロイヤー」ってゲームを…。カラオケで軍歌を歌ったりしますが、「空の神兵」の「藍より青き 大空に 大空に…」をアレンジしていたのですね。
自分は、鹿児島の次に南紀州が楽しく思える。
宗教関係無し、みたいな感じな所が良いですね。
この後は、白浜町-熊野本宮-十津川村に抜けて帰り、日帰り520kmのバイク旅でした。
その前に何回も行った南紀州を走ってみようと思いました。
熊野で解体されているフェリー「ありあけ」を見ました。
フィンスタビライザーが無念を語っているかのようだ。まだまだ、働けたのに…。と言っているようにも思えました。
東京-志布志(鹿児島)-沖縄には、旧有村産業の「クルーズフェリー飛龍21」が船名も換えないまま今は就いています。頑張れフェリー会社。あの素晴らしい星空を再び見せて欲しい。
次は、そのまま通過しようと思った太地町。 シーシェパードって、鯨を教祖とした新興宗教なのですか?
日本人の生命よりも鯨の生命が上なんですかね?
鯨が増えると魚が減る。それも分からないのでしょうか?
それとも鯨漁をされると肉牛が売れないと思った、某国の手先なのでしょうか?
鯨を捕るなと言う人よ。太地町の梶取崎に行ってから言ってくれ。
俺は、鯨を食う。そして、その鯨に感謝する。それで良いんじゃないか。
「いただきます」「ごちそうさま」は、自分の食料になるために育てた人や死んだ動物に感謝するためのものではなかったのか?
チェーン店で飯を食べていても「いただきます」「ごちそうさま」が出来ない人ばかり…。
お金払ったら自分のものと思っているあなた方は獣ですか?
それと、クジラ漁するなという白人共も昔はクジラ漁していたではないか。食べるわけではなく、明かりを灯す油のために。
そんな白人御都合主義にノセられてクジラ漁を反対する日本人は知ってモノをいっているのか?学の無い自分がいうのもなんですが、白人ばかりの世界史なんて糞食らえだ!
次は、串本町。
町のあちこちに日本国旗とトルコ国旗が飾ってある。
恩には恩で返したトルコ国は素晴らしいと思います。
日本人初の国際貢献が行われた、紀伊大島が今回の旅の目的地。
アンリ・デュナンやナイチンゲールを知ることも良いのですが、トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難でその乗組員を救った紀伊大島の多数の人々のことも知って欲しいです。
嵐の時に備蓄の食糧や飼っていた鶏を潰して、介抱したのです。そのおかげで、約100年後のイラン・イラク戦争の時にテヘランに取り残された日本人を救出したのは日本の航空機ではなく、撃墜される危険を冒しながらトルコ航空機によって助け出されたのですよ。その時のトルコの外交官が言った言葉は、「昔の恩返し」。イスラム教では食べない豚肉を食べる日本人をですよ。
日本人では、調べなければ分からないレベルの事です。
でも日本が開国して、初めて国際貢献した「紀伊大島」島民の方々の行動が、日本の将来を支えていた事に感謝します。
新潟県柏崎市から、トルコ建国の父「ケマル・アタテュルク」の像が移転していたのです。
何か、嬉しくてテンション上がってしまいました。
でも、この像が指すのはどこなのでしょうか。遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号の方角なのでしょうか。どうせなら、トルコ国に向ければいいのにと思ったのだが、これって日本人的な感覚なのでしょうか。お墓に指を指してはいけないので、慰霊碑に指を指さないようにしたのかなぁ。
いつかここに来て、潮騒を聞きながらキャンプをしたいなぁ。
次は潮岬。本州最南端の場所。
多くの船が行き交っていた。大和級戦艦母体のの航空母艦「信濃」が沈んだのもこの沖だったと思う。
遠くの空の雲を見ると不謹慎ですが、昔のファミコンのゲームを思い出した。「スカイデストロイヤー」ってゲームを…。カラオケで軍歌を歌ったりしますが、「空の神兵」の「藍より青き 大空に 大空に…」をアレンジしていたのですね。
自分は、鹿児島の次に南紀州が楽しく思える。
宗教関係無し、みたいな感じな所が良いですね。
この後は、白浜町-熊野本宮-十津川村に抜けて帰り、日帰り520kmのバイク旅でした。
目が覚めると天気が良かった。
敦賀に「高速増殖炉もんじゅ」を見に行き、そのついでに敦賀ヨーロッパ軒でソースカツ丼を食べようと思っていた。
何となく調子は悪いが、とりあえず出発。
なかなかテンションが上がらない。身体に力が入らないし、市街地に出ると咳が出て吐き気までしてくる。
帰ろうとも思ったが、そのままバイク旅は続行。
トロイ車1台と追従する車2台の計3台を纏めて追い越してからは、テンション上がる。
琵琶湖を渡り鯖街道を走る。
M社の少し古い変わったエアロを着けた車高の高い車が自分のバイクに対し追い越しを掛けようとしていたので少し腹が立つ。
大型貨物車を抜き去り、その車も置き去りにした。
「ざまあみやがれ」
うん、これが自分のバイク旅のスタイルだ。
今思うと何年前だろうか…。
此路で沖縄ナンバーの元米兵のライダーと英語(自分は片言でした)と日本語(相手は片言でした)で話をしたこと…。ああ、懐かしいなぁ~。
日本人同士でも住む場所が違えば、言葉のニュアンスや文化が違ったりする。車は箱に包まれている(オープンカー除く)が、バイクに乗っていると身体むき出しにして移動している者同士。何となく話しかけやすい。
やっぱり、自分にはバイクが良いよ。
後は、朽木にある道の駅に寄ったり、奧琵琶湖ロードパークを楽しんでから、敦賀に行くのを止めて木之本に到着。「サラダパン」をどうしても食べたかった。木之本駅前でバイクを止め、パン屋の名前を思いだすため少し頭の中の情報を引き出しまくる。
「イ○ダパン」…これって鹿児島県のパン屋じゃないか…。
落ちいて考えろ。時間はタップリある。何だったっけ…。
判らんから行動あるのみ。頭の中に浮かんだ地図の形状の場所に向かう。
「つ○やパン」だった。
店内にはいるとサラダパンがある。その他、興味のあるパンがいっぱいある。バイクには荷物が積めないことと、次に楽しみにしておきたいということもあったので、特に気になったパンだけ選んで購入。
近くのスーパーにも卸しているのか気になったので見に行ってみた。
パンのことは放っておいて、総菜コーナーに気になるモノがあったので、買おうか買うまいか迷ったが結局購入。鯖の姿寿司でした。
木之本IC~八日市ICまで一気に走り、後は勝手しった道。
夕方の帰宅ラッシュで混む道を避けて帰宅。
この日の戦利品。
今日はこんな日でした。次は何処に行こうかな。
敦賀に「高速増殖炉もんじゅ」を見に行き、そのついでに敦賀ヨーロッパ軒でソースカツ丼を食べようと思っていた。
何となく調子は悪いが、とりあえず出発。
なかなかテンションが上がらない。身体に力が入らないし、市街地に出ると咳が出て吐き気までしてくる。
帰ろうとも思ったが、そのままバイク旅は続行。
トロイ車1台と追従する車2台の計3台を纏めて追い越してからは、テンション上がる。
琵琶湖を渡り鯖街道を走る。
M社の少し古い変わったエアロを着けた車高の高い車が自分のバイクに対し追い越しを掛けようとしていたので少し腹が立つ。
大型貨物車を抜き去り、その車も置き去りにした。
「ざまあみやがれ」
うん、これが自分のバイク旅のスタイルだ。
今思うと何年前だろうか…。
此路で沖縄ナンバーの元米兵のライダーと英語(自分は片言でした)と日本語(相手は片言でした)で話をしたこと…。ああ、懐かしいなぁ~。
日本人同士でも住む場所が違えば、言葉のニュアンスや文化が違ったりする。車は箱に包まれている(オープンカー除く)が、バイクに乗っていると身体むき出しにして移動している者同士。何となく話しかけやすい。
やっぱり、自分にはバイクが良いよ。
後は、朽木にある道の駅に寄ったり、奧琵琶湖ロードパークを楽しんでから、敦賀に行くのを止めて木之本に到着。「サラダパン」をどうしても食べたかった。木之本駅前でバイクを止め、パン屋の名前を思いだすため少し頭の中の情報を引き出しまくる。
「イ○ダパン」…これって鹿児島県のパン屋じゃないか…。
落ちいて考えろ。時間はタップリある。何だったっけ…。
判らんから行動あるのみ。頭の中に浮かんだ地図の形状の場所に向かう。
「つ○やパン」だった。
店内にはいるとサラダパンがある。その他、興味のあるパンがいっぱいある。バイクには荷物が積めないことと、次に楽しみにしておきたいということもあったので、特に気になったパンだけ選んで購入。
近くのスーパーにも卸しているのか気になったので見に行ってみた。
パンのことは放っておいて、総菜コーナーに気になるモノがあったので、買おうか買うまいか迷ったが結局購入。鯖の姿寿司でした。
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HN:
旋風(ツムジカゼ)
性別:
男性
職業:
旅人兼運輸系会社員
趣味:
旅行
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今は国内旅行しかしませんが、海外旅行も行ってみたいと思います。
しかし、特亜には絶対に行きたくないですね。
しかし、特亜には絶対に行きたくないですね。
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