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鉄道・バイクで旅をしたことが主な記事です。 いつかは、亜細亜(M党の政治屋が、大好きな特亜3国を除く)を回りたいです。 航空機だけは、なるべく使いたくありません。
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前回の続き
-----22日-----

天気予報が言っていたように、知覧(鹿児島県)は朝から雨だった。
安全を考えると今日のバイク旅は止めておこう。
20101122b.jpg


朝飯をいただく。
20101122a.jpg 
朝からボリューム満点。それはさておき、連泊を申し込む。
 

墓参りをするため、街で花を買う。
墓参りを済ませた後、前から気になっていた墓地の横にある神社に行ってみた。

伊勢神社
20101122c.jpg
今は、参拝する人がいるのか…。
(この写真を親父に見せると、懐かしがっていた。)


徒歩で、知覧城の傍を歩いて”特攻平和会館”に行った。
バイクでは一瞬で通り過ぎてしまい何も思うことがないが、徒歩では途中の灯籠が何とも言えぬ哀愁を漂わせる。
20101122d.jpg
平和会館に到着。入館するのは14年ぶりです。前に来たときは余りにも辛くて、10分もたたずに出てしまいました。
映画ですが、”月光の夏”・”ホタル”・”俺は君のためにこそ 死にに行く”で有名になってしまった知覧ですが、自分も知覧の血が流れているので、今回は何を思っても真面目に読まなければ…、戦争時代の知覧を感じなければ…と覚悟を決めて入館しました。

入館するとすぐに「炎に包まれた特攻機から、隊員の魂を救い出す天女達の画」を見て、本当に辛くなりました。前に来たとき(22歳の頃)は、それを見てすぐ退館しました。
もう出たいという気分にもなりました。中学生の頃に来館したときは、感じることが出来なかった気分を22歳の頃に感じ、また30代半ばにして味わったが、目を背けてはいけない知覧の歴史ということで、見続ける。

写真に撮ってはいけない物ばかり。残留思念が籠もっていそうな物ばかり。

親戚や親父に聞いたことも納得できる、知覧の軍事施設跡の案内。
過去にSL230の故障した場所は副滑走路の場所でした。
あのときの故障は、「知覧をよく知れ!」という先祖や先達の意見だったのでしょう。
今回の雨も、見聞きするだけでは駄目だ。感覚で「知覧の過去をよく知れ!」という先祖や先達の意見なのでしょう…。今回、来ることが出来たのも縁だ。
じっくり見せていただいた。親父殿の実家付近は、基地防空隊員がいた場所だったらしい。おかげで、親父の話していた「グラマンの機銃掃射」の話もよく分かった。

特攻隊員の遺書を読んで回る。
天皇陛下や日本に対して残したわけではなく、自分の愛する家族に残した遺書が多かったと思う。
でも、何かを悟ったようなきれいな文字でした。

この方々がいてくれたおかげで、戦後の日本が無事に発展できたのだと思います。
最近の日本は、考え方がいろいろ出来てきたというか、恩知らずの人が増えたと言っていいのでしょうか?今昔、独自でのし上がったと思っている勘違いされた方々が多い気がします。先祖を敬い祭り、自分が此の地に居ることができることを感謝せねばなりません。

勇気を過去の人に分け与えていただいた気分を味わった。
しかし、平和会館を出ると…ギャップも味わった。
何処まで平和ボケなんだ?此の日本は?国民一人一人が、やがて来るかもしれない争乱に対処できるのだろうか?バスから降りてくる観光客を見て、そう思った。

普段、ツーリングでは絶対に食べないラーメンを食べる。
今回は、宿にバイクを置いての徒歩旅ですから…。
「隼ラーメン」に行った。
20101122f.jpg 20101122e.jpg
遠くに原寸大模型の1式戦闘機が見える。
味は、豚骨系スープだが、あっさりしている。

そのあと、知覧ミュージアムに行き、昔の知覧の人たちのことを知ろうと入館した。
農業や祭りのことを知ることが出来た。



そのあと、徒歩で豊玉姫神社に行き参拝した。
幼き頃のかすかな記憶では、祖母に連れられて此処に来ていました。
紅葉がなかなかでした。雨が上がったので宿に戻る。

宿に戻ったので、ここからバイクだ。
「XR400mよ。起きろ。今から出かけるぞ。」
そうだ、開聞岳がよく見えるルートを走ろう。途中で、ナビが電力不足で息絶えた。
しかし、何度もシビックフェリオやSL230で走ったことがある道なので、迷うことはない。
番所鼻公園に到着。
日本を歩いて回った”伊能忠敬”が絶賛した場所らしい。
20101122g.jpg
確かに雨雲が去り、大隅半島の先端も見える。開聞岳も雲の帽子が取れかかっていた。これが晴れならば…。と悔やまれるが…。

次は枕崎に向かうつもりでいた…。
しかし、とあるトラックが横から出てきた。
対処可能の距離なので、のんびりやり過ごそうかと思った…。しかし、…。
「何じゃ、この臭いは。」と考えて頭の中で地図を展開。芋焼酎を作っている酒造屋がある場所じゃないか。あの臭いは芋焼酎の搾り粕か!
「回頭180度で高速離脱!」
侮りがたし、鹿児島県。危うくあの臭いで倒れるところだったぞ。

聖ヶ浦の駐車場で、しばらく時間を取って出発。
20101122h.jpg
聖ヶ浦は昔、”震洋”というベニヤ板の特攻艇の基地でした。
数年前、靖国神社の遊就館で、その存在を初めて知りました。
今も現存する自動車メーカー(T)が造ったトラック用エンジンと爆弾を積んだ、モーターボートが出撃するための基地でした。8月15日に終戦の日を迎えることが出来たため、特攻犠牲者も出ることがありませんでした。もし、米軍オリンピック作戦が開始されていたら、ここから出撃していったのでしょう。
鹿児島県に上陸されたら、間違いなく自分の両親は違う生き方(死に方)をしていて、間違いなく自分はこの世に生まれることはなかったのでしょう。
両親達だけに対し感謝するだけではなく、世の偶然に感謝すべきなのだろうな。



枕崎の火の神公園付近にある平和祈念展望台に行き、夕日を眺めながら日本のために奮戦して沈んでいった昔の戦士達を祈る。
20101122i.jpg


そこから宿に戻る際、バイクからナビへ供給する電気コードが断線していて、バッテリーも切れて、迷う…はずだったが…。

ナビなんぞよりも走行経験。勝手知ったる道。迷えといわれても迷わない。
もし迷ったら、前の車に追走してわかりやすい場所まで行くから。

何故か、鹿児島にバイクで行くと、バイクや身の回り品のトラブルが多い。
先祖が引き留めているのか…と思える。

宿に無事に戻って、焼酎を飲んで就寝。
こんな1日でした。

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今は国内旅行しかしませんが、海外旅行も行ってみたいと思います。
しかし、特亜には絶対に行きたくないですね。
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